その頃元気だったじいちゃんと、並んで田んぼの水の量を見た。
20年生きた猫のみいちゃんと、「きもちいいねえ」と言いながら散歩した。
今はもう星になってしまったあの子と、追いかけっこをした。
お母さんと喧嘩して、家を飛び出して、大声を出しながらうずくまって泣いた。
切り取られた思い出の場面は、どれも、太陽が沈む前、辺り一面がオレンジ色になる頃。
すこしさみしくて、でも、どこかまぶしい、そんな時間帯。
田んぼのあぜ道で。
in the trivial round of daily life since 2000
その頃元気だったじいちゃんと、並んで田んぼの水の量を見た。
20年生きた猫のみいちゃんと、「きもちいいねえ」と言いながら散歩した。
今はもう星になってしまったあの子と、追いかけっこをした。
お母さんと喧嘩して、家を飛び出して、大声を出しながらうずくまって泣いた。
切り取られた思い出の場面は、どれも、太陽が沈む前、辺り一面がオレンジ色になる頃。
すこしさみしくて、でも、どこかまぶしい、そんな時間帯。
田んぼのあぜ道で。
小学生にとって夏休みはパラダイスだ
とりわけ僕にとっては夏の早朝が一番の楽しみだった
毎朝6時に起き、服を着替え、むしかご片手に弟と家を出る
いつものポイントに行き、僕が木を一回、二回、と蹴ってみる
近くの草むらにボトッと何か落ちる音がした
弟がそのあたりをごそごそと探す
「見つけた!!」と弟が言うと僕も急いでそばによって覗き込む
そこには黒に近い暗い茶色の宝石が一匹
それを僕は自慢げにむしかごに入れる
それから僕たちは意気揚々とラジオ体操へと向かう
実家の近くにある公園はみんなに「上の公園」と呼ばれていた。もちろん「上の」とつく以上、「下の公園」もあったのだが「上の公園」で遊ぶことが多かった。そちらの方が家から近かったこともあるし、野球やサッカーなどで遊ぶときに遊具や木の場所を利用しての塁やゴールを定めやすかったこともあるだろう。小学生の間ずっと集団登校をしていた私にとっては、そこは朝の集合場所としての機能も持ち合わせていた。そこで遊んでいたのは私を含め近所の子供たちだが、学年などは関係なかった。そこにいるみんなで遊ぶ、そんな場所だった。
そこで私たちは毎日遊んだ。示し合わせたわけではないのに誰かが必ずそこにいた。サッカーや野球、ドッヂボールをすることもあれば缶けりやけいどろ、木登りをしていたこともある。ブランコを使っての靴飛ばしはみんな燃えた。
公園の中にはいろいろな木や花もあった。春には山桜がソメイヨシノより少し早く花を咲かせ、柔らかい緑が目に優しい。夏には春よりも濃い色となった葉が強い日差しを遮り、クチナシの甘い香りが広がる。秋にはケヤキの葉がみごとなグラデーションを見せ、銀杏は黄色の葉を落とし、ドングリが地面に転がる。冬には椿が鮮やかな赤を見せてくれる。他にも常緑樹はあったし花壇にも花があった。
決して広くはない公園だ。だがそこに私の子ども時代のほぼすべてがある。昔と違って子どもの数が減ってしまい、子どもが遊んでいる様子を見ることはあまりなくなってしまった。あの公園を見るたびにそれを寂しく感じながら、幼かった頃の自分と友人たちのことを思い出すのだ。
その頃元気だったじいちゃんと、並んで田んぼの水の量を見た。
20年生きた猫のみいちゃんと、「きもちいいねえ」と言いながら散歩した。
今はもう星になってしまったあの子と、追いかけっこをした。
お母さんと喧嘩して、家を飛び出して、大声を出しながらうずくまって泣いた。
切り取られた思い出の場面は、どれも、太陽が沈む前、辺り一面がオレンジ色になる頃。
すこしさみしくて、でも、どこかまぶしい、そんな時間帯。
田んぼのあぜ道で。
幼稚園のころ。
なんでだかいまでは思い出せないのだけれど、気に食わない女の子がいた。
その子に対するあからさまないじわる。
ひねくれたこどもだった。
ある日の給食時間の終わりごろ
先生のところにみんながたかっている。
「どうしたとー?」と近寄るわたし。
例の女の子が泣いていた。
「ちょっと来なさい」
大勢いる中でわたしだけ先生に呼ばれた。
原因はわたしだった。
これが始めて先生に怒られたとき。
これが始めて人を傷つけたときの悲しさに襲われたとき。
目を閉じるとはっきりと思い出す。
あの子の涙とわたしの涙と先生の涙。
幼くして大切な涙を胸に刻んだ。
周りから、彼氏と間違われるくらい仲が良くて、顔が似ていない私と弟。
ある日突然、彼に二度と会うことが出来なくなる日が訪れた。
全てが終わりしばらく経って、一人ふらりと散歩に出かけた。
歩くたび色々な思い出が頭を巡り、押し寄せる感情に流されそうに
なりながら、ただ歩いた。
滲んだ視界の向こうに、遠い昔に遊ぶ私達を見ていた。
当時付き合っていた人の家に向かう途中,狭い路地の先に湾を渡る赤い橋が見えた.
まるで路地に並ぶ家と家を結んでいるような橋.
人や猫の温度が残る路地を冷たく支配する橋.
ちょっと遠回りなのに,必ずその路地を通ってた.
橋からはこんな路地は見えないのに,と思いながら.
我が子誕生の前日深夜。いつ終わるともわからない陣痛に耐えながら二人で病室から見た、新病棟の建設現場とその先の空にある満月。月と人間との神秘的としか言いようのない繋がりの深さと、目の前で行われている(今の自分にとって)見慣れた人間の営みと。その関係性の凝縮した風景を見ながら、ただ無事を祈ることしかできなかった自分の無力さを感じた瞬間でした。
かつてオフィスを構えていたマンションは、周囲に高い建物がなく、空がよく見えた。
仕事に飽きると、よくベランダでタバコをすいながら、
毎日雲の流れる様を無心に眺めていた。
夏は力強い積乱雲の造形を楽しむことができた。
夕刻になると、晴れた日にはすばらしい夕焼けを臨むことができた。
その雲に映る美しい色彩にインスパイアされたことも少なくはない。
美しい空は得難いものだ。東京の街中で、ふと毎日見ていた
福岡の広い空が心の中によみがえることがある。
今でも、ずっと好きな音楽があります。
まだ明るかった空が、
舞台の照明が消えた頃には、
すっかりと暗くなっていた。
自然に、涙が出てきた。
こんなに好きだなんて思わなかった。
ありがとう。
ありがとう。
エレベーターに入るといつもキスしてくれた人が好きでした。エレベーターで1人になると思い出します。