部屋

思春期と呼ばれるころ、
いろんなことが嫌でたまらなかったけど
いちばん嫌なのは自分自身だった。

逃げられるものなら逃げたかったけど
どこへ行ってもなにをしていても離れられないから
消えてなくなりたいくらいだった。

なんでだったかは忘れたけど
学校から帰ると流し損ねた涙がぽろぽろ出てきて
止まらなくて部屋で枕に顔を埋めていた。
気付いたらいつの間にか母親が入ってきていて
「なにがあったか知らないけど…」から始まり
とんちんかんな話をし出した。
わたしはなにも話さなかったけど
気付いたら母が涙声になっていたので
ちらっとだけ顔をあげると母も泣いていた。

「なんでお母さんが泣くの?」と思ったけど
理由があろうがなかろうが
理由がくだらなかろうがそうじゃなかろうが
自分のために泣いてくれる人がいることは
それからずっとわたしの支えになった。
今でも。

高校のグラウンド

私は高校生の時陸上部のマネージャーだった。部員もそれほど多くはなく、練習はたいていが学校のグラウンドの隅っこのほう。部の和気あいあいとした雰囲気が大好きだった。隅っこから眺めるグラウンドの風景も大好きだった。マネージャーの仕事がない時はぼーっと憧れの野球部の先輩は眺めたり…そんな大好きだった部活も、3年になり引退。最後の試合が終わったあと、みんなで夜のグラウンドに寝っころがっていろんなことを話した。今思い出すと恥ずかしいくらい青春だったと思う。

九段下ビル・喫茶カリーナ

大学2年の夏、
初めて自分で交通費・滞在費を工面して
一人で9日間の東京へ建築巡りの旅に出かけました。
東京は様々な時代の建築が残っている魅力的な街です。

そして東京に着いてまず向かったのが
1927年に竣工した『九段下ビル』。
東京に発つ直前、
一部解体のニュースを耳にしていたので
最初に観に行こうと決めていました。

現地に着いて見ると、
周囲には新しくキレイなオフィスビルが立ち並ぶ中、
九段下ビルは古くボロボロで明らかに周囲から浮いていました。

九段下ビル1階の「喫茶カリーナ」に入ると、
都会のサラリーマンで賑わっていました。
そこに混じって大学生はオムライスを注文します。

このときふと感じた
「一人で東京に来たんだ」という
疲れと、喜びと、寂しさと、不安が入り交じった様な感情は
この写真を見る度に思い出します。

そしてこの冬、
九段下ビルは一部ではなく全て解体されることになり、
もう二度と姿を見ることは出来ませんが、
あの時見た不思議な空間と気持ち、
一人で食べたオムライスの味は
ずっと忘れません。

家のこたつ

いつもは家族だんらんの場
特に冬は寒くて外に出られないので
自然とおしゃべりも増える
学校の友達ほど盛り上げるわけではないけど
あたたかい私の居場所

なのに今年はひとあじちがう!
弟が受験生なのだ
なにも言わないけれど
こたついっぱいに参考書を広げて
全身からぴりぴりを発している

自分の部屋でやってなんて
とてもとても言えず
家族はおいやられる

頑張れ弟
あと少し
私も寒いのがまんするから

景色のよい棚田

小学生の頃、私が住んでいた団地は長い坂の上にありました。その坂に沿って田んぼが棚田のようにだんだんになっていて、ある田んぼからは、私が住んでいるまちを見渡すことができ、毎日通っていた小学校もみることができました。

田植えの時期になると、田んぼに水が張られます。ある日の夕暮れ、眺めの良い田んぼに来てみると、水の張った田んぼに夕日がうつって、あたり一面がオレンジ色に染まっていました。私はびっくりしてあまりのその美しさに、ほかの人にも見せてあげたいと思いました。でもその美しい光景はほんの一瞬で終わってしまって、その後一度も見ることができませんでした。

偶然の一瞬だったんだろうなあと思いながらも、その後も何度もその場所から景色を眺めました。
一度しか見ていないけれど、その光景は忘れることができません。またいつか、大好きだったその場所に行きたいです。

焼肉屋さん

大学合格が決まったあの日、家族で焼肉屋さんに行きました。

本当に、どうしようもなくうれしくて、すごくテンションが高かったのを覚えています。

母と一緒に「よかったね!」とか「いやー本当にうれしい!!」とか。

思い思いに喜びを口にしあっていると父が「うかれるな」と一言。

その時はなんて嫌な野郎だと思っていましたが、今思い返せば新しい一歩への激励だったのかなぁと思ったり。

老いゆく父へ、元気してますか?

空港

お母さんが いつも私が消えるまで 見送ってくれる…
私が いつも消えるまで お母さんに手を振って笑っていた…

そして、私が泣いて泣いて…

離れたくないなぁ
お母さんと、故郷と…

中学校の近くのバス停

通っていた中学校の校区が広く、私の家は校区の端っこだったため、バス通学が認められていました。
帰りに友達としゃべりながらバスを待つ時間はとても楽しかったことを覚えています。

バス停の裏はのぼり斜面になっていて、そこを登って遊んだこともありました。

雪の日は帰りのバスがなく歩いて帰った思い出も。友達はみんな文句タラタラでしたが、私はしゃべる時間が増えるのでひそかに喜んでいました。

3年になった時にバス通友達の一人が自転車通学に変えたので、夏休みの部活帰りなども一緒に歩いて帰ったりして楽しかったな~と思いだします。

おばあちゃんの家とその周辺

幼い頃はよくおばあちゃんの家に行き、遊んでもらっていた。
今でもお正月やお盆には家族でおばあちゃんの家に行く。
車で1時間程かけて行くので、当時の私にとってはとても遠いところだった。

私を毛布の上に乗せて引っ張りながら部屋中を走り回っていたおばあちゃんは、本当に元気だったと思う。
夕方には草花を摘みながら田んぼ道を散歩し、川に行くこともあった。
銜えて吹くと音がするぴゅーぴゅー草を教えてくれたが、私は上手く吹けなかった。

母が迎えに来ても帰りたくなかった私は、かくれんぼをしようと言い出して一生懸命隠れた。

泊まりがけで夜中にお腹が空いたらラーメンを作ってくれ、私が悪いことをしたらびしっと叱ってくれた。

おばあちゃんとの思い出は数え切れないほどたくさんある。
今も続くおばあちゃんとの日々は、私にとって大切な思い出だ。

1両目1番前

午前5時35分
まだ眠気まなこの私は親にせかされながら家を出る

今では考えられない高校3年間の私の習慣

40分にいつも通り着く列車
利用客も少ない田舎の列車だから、昼間や夜は2両編成。でもこの時間ばかりは長く長く連なっている

1両目の1番前
4人がけの席の窓側にいつも通り座っている彼女

「おはよう」
と言って私も彼女の前に座る。

「やばい。予習終わってないんだよね」
なんて言いながら黒い学生カバンを机代わりに教材を開く

朝ごはんを食べ損ねてもぐもぐしている日
昨日の寝不足からうとうとしている日
大きな声でおしゃべりしすぎて恥ずかしい思いをした日
夢中で英文を暗記した日

毎日毎日めまぐるしくすぎていく

海岸線沿いを通る通学だったので
のぼる朝日を見るのが好きだった
「今日も天気がいいな」と思うだけで気分が晴れた

そんな私の毎日を支えてくれたあの席は
今は誰かのいつもの席なのでしょうか