室見川

高校を卒業した春休み

夕方からじゃないと予定が合わないと言われて
拗ねたわたしは一人で室見川へ行ってみた

花がきれいに咲いていて、風も優しく吹いていた
流れる水も美しく、時間がゆっくり流れているようだった

ちょっぴり斜めだった私の機嫌もなおってきた

土手にごろんと寝転がった

空を眺めながら、いろいろいろいろ
かんがえた

気づいたら寝てしまっていた

びっくり

屋外でねてしまうなんて

でもきもちよかったな

春の室見川

次はだれかと行きたい

部室

私の高校三年間の想い出は、部活一色です。毎日部活をすることが、そして、部活の友達と会うことが学校に行く理由の大半を占めていた気がします。たくさん行事や大会はあったけど、私が大切に思うのは、部室に集まりみんなで他愛のない話をした時間です。すわり心地の悪い椅子に座って、外の運動部を眺めながら、いつまでも話し込んでいたあの時間は、とても愛おしい時間だったと感じます。

家の周りの森林

 僕の実家の周りは森林と畑しかなかった。民家の集団から孤立した立地だったこともあり、森の中の隠れ家などと言われたぐらいだ。そんな環境で青春を過ごしてきたため、森が一番の友達になることはある意味必然だったかもしれない。
 小学生の頃、学校から帰れば森の中に探検に向かうのが日課だった。野良犬や野良猫を追いかけ、見たことのない木や虫に興奮する日々。成長してからも、悲しいことがあればまずは森に入っていった。悩みもつらさも共有し、森のすべてが僕を励ましてくれるようにすら感じられたのだ。
 そして、10数年間毎晩変わらず流れる森の虫やカエルによる大合唱は最高の子守歌。これがないと落ち着かないくらいだ。
 大学生となり実家から離れることになった。目に映る色とりどりの建物、夜でも明るい街。世間の技術の進歩に感心させられる日々。でもやっぱり落ち着かない。僕にはあのシンプルな緑があっているようだ。毎晩そんなことを考えながら布団に倒れこむ。森の子守歌はここじゃ聞こえないようだ。

公園

私が小学生の頃の思い出です。

たいていは小学生の学校帰りって駄菓子屋さんに寄ったり、公園のグラウンドのような所で遊ぶのでしょうか。
私は当時それほど広い交友関係を持っていなかったので、
友達と2人で、いつもある公園に行っていました。

その地元の公園は本当に小さな公園で、滑り台一つと砂場しかありません。
さらに、長い坂のてっぺんにあり、公園の半分は柵に囲まれ、その先は崖のようになっています。
そのため人はほとんど立ち寄らず、おそらく認知度もかなり低いです。

ですが、そんな公園が私たちの穴場×一番の場所でした。
なぜなら、その公園から見える夕陽、そして日没は、本当に綺麗で時間を忘れてしまうほどだったからです。
オレンジの空は、いつも暮らしている慣れ親しみ過ぎた町を、何か愛しいもののように感じさせてくれました。
そんな綺麗に染まる町を見たくて、私と友達は何度もその公園に通いました。

馴染みのあるこの町で、唯一私たちが知っているであろう、
この公園とそのオレンジがいつまでも忘れられない、私の大切な思い出です。

テニスコートと夕陽と富士山と

 学校からは都庁が見えた.夕陽に照らされる新宿ビル群.そこから見下ろされる下町に,母校はあった.
 いつの間にか仲良くなっていた親友に,今日は一緒に帰れない事を告げる.いつも彼はふーんとだけいった.ボロボロの鞄を手に取り颯爽と教室をあとにする彼を見送り,隣の教室へと歩を進める.
 一緒に帰ろうなんて言葉を飲み込み,友達と談笑している彼女がいる教室に徐にはいっていく.友達の目配せでこっちに気付いて,じゃーねと言って学校を出る.
 新宿・渋谷が近い学校からの帰り道は,都会の雑音とは切り離された,古い住宅街の裏通り.先生が,先輩が,友達が,テストが,そんな話をうんうんとききながら,二人の影法師はオペラシティへと向かう.商店街を抜けると,ぬっと現れる淡いピンクのオペラシティ.テニスコートとデニーズを横目に,ピンクの塔の麓へと階段を上る.
 まばゆいオレンジの空を背景にして,街並の切り絵が広がる.目を凝らすと,ぽつんと佇む富士山の影.今は無きその影は,今日もどこかで夕陽に照らされている.

部屋

思春期と呼ばれるころ、
いろんなことが嫌でたまらなかったけど
いちばん嫌なのは自分自身だった。

逃げられるものなら逃げたかったけど
どこへ行ってもなにをしていても離れられないから
消えてなくなりたいくらいだった。

なんでだったかは忘れたけど
学校から帰ると流し損ねた涙がぽろぽろ出てきて
止まらなくて部屋で枕に顔を埋めていた。
気付いたらいつの間にか母親が入ってきていて
「なにがあったか知らないけど…」から始まり
とんちんかんな話をし出した。
わたしはなにも話さなかったけど
気付いたら母が涙声になっていたので
ちらっとだけ顔をあげると母も泣いていた。

「なんでお母さんが泣くの?」と思ったけど
理由があろうがなかろうが
理由がくだらなかろうがそうじゃなかろうが
自分のために泣いてくれる人がいることは
それからずっとわたしの支えになった。
今でも。

高校のグラウンド

私は高校生の時陸上部のマネージャーだった。部員もそれほど多くはなく、練習はたいていが学校のグラウンドの隅っこのほう。部の和気あいあいとした雰囲気が大好きだった。隅っこから眺めるグラウンドの風景も大好きだった。マネージャーの仕事がない時はぼーっと憧れの野球部の先輩は眺めたり…そんな大好きだった部活も、3年になり引退。最後の試合が終わったあと、みんなで夜のグラウンドに寝っころがっていろんなことを話した。今思い出すと恥ずかしいくらい青春だったと思う。

九段下ビル・喫茶カリーナ

大学2年の夏、
初めて自分で交通費・滞在費を工面して
一人で9日間の東京へ建築巡りの旅に出かけました。
東京は様々な時代の建築が残っている魅力的な街です。

そして東京に着いてまず向かったのが
1927年に竣工した『九段下ビル』。
東京に発つ直前、
一部解体のニュースを耳にしていたので
最初に観に行こうと決めていました。

現地に着いて見ると、
周囲には新しくキレイなオフィスビルが立ち並ぶ中、
九段下ビルは古くボロボロで明らかに周囲から浮いていました。

九段下ビル1階の「喫茶カリーナ」に入ると、
都会のサラリーマンで賑わっていました。
そこに混じって大学生はオムライスを注文します。

このときふと感じた
「一人で東京に来たんだ」という
疲れと、喜びと、寂しさと、不安が入り交じった様な感情は
この写真を見る度に思い出します。

そしてこの冬、
九段下ビルは一部ではなく全て解体されることになり、
もう二度と姿を見ることは出来ませんが、
あの時見た不思議な空間と気持ち、
一人で食べたオムライスの味は
ずっと忘れません。

家のこたつ

いつもは家族だんらんの場
特に冬は寒くて外に出られないので
自然とおしゃべりも増える
学校の友達ほど盛り上げるわけではないけど
あたたかい私の居場所

なのに今年はひとあじちがう!
弟が受験生なのだ
なにも言わないけれど
こたついっぱいに参考書を広げて
全身からぴりぴりを発している

自分の部屋でやってなんて
とてもとても言えず
家族はおいやられる

頑張れ弟
あと少し
私も寒いのがまんするから

景色のよい棚田

小学生の頃、私が住んでいた団地は長い坂の上にありました。その坂に沿って田んぼが棚田のようにだんだんになっていて、ある田んぼからは、私が住んでいるまちを見渡すことができ、毎日通っていた小学校もみることができました。

田植えの時期になると、田んぼに水が張られます。ある日の夕暮れ、眺めの良い田んぼに来てみると、水の張った田んぼに夕日がうつって、あたり一面がオレンジ色に染まっていました。私はびっくりしてあまりのその美しさに、ほかの人にも見せてあげたいと思いました。でもその美しい光景はほんの一瞬で終わってしまって、その後一度も見ることができませんでした。

偶然の一瞬だったんだろうなあと思いながらも、その後も何度もその場所から景色を眺めました。
一度しか見ていないけれど、その光景は忘れることができません。またいつか、大好きだったその場所に行きたいです。