no title

「貴女は本当に可愛いね。」
お風呂あがりに父から髪をとかしてもらっていたことや、母と一緒に昼寝していた午後のことなど、小さな頃の思い出には、必ず両親からのこんな言葉が響いてくる。
年齢を重ねて、「可愛い子だね。」→私たち親にとっては。という但し書きがついていたことがわかるようになり、少しがっかりもしたこともあったが、「かわいい。かわいい。」と育てられたその温かい記憶は、太く張り巡らさせた根っこの一部になって私を支えている。

縁あって今、私は小さな娘を育てている。

ある日、お友達とのケンカの果て「不細工!」と言われたと憤慨して学校から帰ってきた彼女。
ふむふむ・・と彼女の話を聞きながらふと尋ねてみたくなった。
「それで、貴女は不細工だと思う?」と。
すると
「お母さんもお父さんもお姉ちゃんもいつも私のこと、かわいいって言うもん。お洋服だって髪型だって、お母さんがいつも可愛くしてくれているもん。毎朝、可愛いってお母さん言うもん。
だから私不細工じゃないって知ってるから大丈夫。」

と、言いたいだけ言ってしまうと、満足した彼女は大きくうなづいて宿題にとりかかった。

私は彼女の
根っこになれるだろうか。

渋谷駅

2回だけ2人でご飯に行きました
待ち合わせはモヤイの前

待ち合わせ、現れたかと思いきや
「ちょっとたばこ」
といって、待たされる

わたしはデートかな?と思ってるけど
彼はどういう気持ちでここに来たのだろう
お家から30分、わりと遠いのだけど
わたしのために渋谷に来てくれたのよね?

結局普通にご飯をたべて
お酒を飲んで
おしゃべりして
渋谷駅、終電まで
帰りたくないとごねてみて
「明日も普通に会えるじゃん」って
そういう意味じゃないの
まだわかんないのかな

そんな思い出も昔の話で
もう距離が遠くなってしまったし
なかなか連絡くれないし
でも、一緒にご飯に行った日のこと
よく思い出してしまう

わたしにとって渋谷は
彼に会う街で。
面影だけいろんなところに残して
ずるい人だな

102号室

3年間一緒に過ごした。
楽しいこともたくさんあったし、 つらいこともたくさんあった。
でも振り返ればどれも今の自分がここにいるための大事な時間だったと思える。

これからは同じ場所で一人で住むことになる。
思い出が残る場所で一人になるのはさみしいけど、大丈夫。と何度もつぶやきながら、ここに記しておこうと思う。

塀の外

まだ、お父さんがいた頃。

小学校へ行くとき、振り返ったら、ベランダから手を振ってくれたお母さん。
ランドセル抱えて、何度も何度も振り返っては手を振った。

お前なんて死ね、二度と帰ってくるなとたくさんことばを投げつけるお母さん。
家を飛び出して、蟻に石ころ投げたりしながら時間が過ぎるのを待った。

社宅の塀の、すみっこ。
立ち上がったらお母さんの笑顔が見えて、座り込んだら泣いてるわたしを隠してくれる、ぎりぎりの場所。

悲しいことが、たくさんあった。
愛されたくて、寂しくて、寂しくて、だから、憎んで恨んで、諦めて。

でも、たしかに愛されてたんだって。

まだ直接は、とても言えないけど。
悲しい記憶が溶けていって、思い出が優しくなったら。
もしかしたら、心から伝えられる日がくるかもしれない。

ありがとう、

おじいちゃんと住んだあの家

高校2年の3月、突然引っ越すことになった。
おじいちゃんが末期がんになったのだ。
おばあちゃんも3年ほど前に亡くなっていて、おじいちゃんは1人で暮らしていた。

おじいちゃんの家のお風呂は薪で沸かしていた。
毎日学校から帰ると、おじいちゃんから火の付け方、薪のくべ方を教えてもらった。
2つ下の弟は上手に出来るのに、私はいつまでたっても出来ないまま。
おじいちゃんはいつでもニコニコ笑って教えてくれた。
がんが進行して、弟を父と間違えるようになっても、痛みで起き上がるのが苦になってもニコニコ教えてくれた。

半年経っておじいちゃんが死んで、私達は引っ越した。
おじいちゃんの笑顔をあのお風呂のそばに置いたまま。

母の立つキッチン

幼かった頃、キッチンの床の隅に座って夕飯を作っている母とお話をするのが大好きだった。仕事帰りで母は疲れているのに私は手伝いもせず、床に座りながら母を見上げ今日あった嬉しかったこと楽しかったことの出来事をずっと話していた。母はどんなに疲れていても私の話を笑顔で聞いてくれたのがとても嬉しかった。私はこの時間が大好きだった。ご飯が出来上がるころになるとまだお皿に盛られていないご飯をつまみ食いしては、話続けていた。

私が大きくなると母は「お話をしながらお手伝いをしてくれると早くご飯ができるのにな~」と言うようになった。それでもキッチンの隅は私のお話をする場所だった。
今でも実家に帰ったらキッチンの隅は私が母とお話をする場所。

部室

高校2年のとき、すごく嫌なことがあった。
それが原因で食欲がなくなり、
半年で5㎏痩せた。
学校、特に部活に行きたくなかった。
朝ご飯を食べた後吐いたこともあった。

高校生活を振り返ると真っ先に
このことを思い出す。

でも、ちゃんと振り返ったら、
それ以上に楽しいことが
たくさん出てくる。

夜遅くまで練習したこと。
同級生で真剣に議論をしたこと。
初めて九州大会に出たこと。
部員みんなでフェリーに乗ったこと。
いつだってそばにいて、
私が苦しんでることに気付いてくれた友人たち。

最高の結果で終われたこと。

しんどくなったら高校2年を思い出す。
自分1人じゃない、乗り越えられるって思える。

美術館、病室

母が生きていた頃、母に誘われて、よく美術館に行った。何もしゃべらず、二人でゆっくり館内を回った。無言だけど、その空気感がとても居心地がよかった。

母が入院してから、学校が終わるとまっすぐ病院に行く生活だった。二人きりの病室でも、僕は何か話すわけでもないし、母も特に何かを話そうとしなかった。僕は病室で黙々と宿題をしていた。
美術館と同じく、病室でも二人は無言だった。

母が亡くなってから、姉に教えてもらったことがある。
母は、あの無言の時間が好きだったと。あの二人だけの特別な時間が、とても居心地がよかったと。

母は、父や姉とは美術館に行くことはなかった。
母は美術館だけでなく、僕と過ごす時間も楽しみにしていたのかもしれない。
母がいなくなった今、母を思い出すときはいつも、あの美術館と病室を思い出す。二人だけの、あの静かな時間は大切な宝物。

mail box

妹の生き方について
彼女は時々私に相談する。
恋愛相談、家族との関係、
高校受験や部活選択、、
いつも感じるのは彼女は
無意識に
私の生き方と比較していること。
その度に自分が姉であることを
ちょっぴし苦しく思う。
自分の好きなようにすればいいんだよ
というと
ほっとする私の妹。
私がおねえちゃんでよかったという
私の大好きな妹。
このやりとりは
私が実家を離れて会えないから
全てメールでのやりとり。
いつまでも心に残しておきたい
おもいで
おもいでとして取り残したくない
おもいで
です^^

校庭の大きな土管

小学校の校庭にあった四角形の大きな土管。当時非常にはやっていたケイドロのときに「刑務所」にしていて、懐かしい場所です。ひんやりした土管の中は何だか居心地のいい場所でした。