鶴屋の屋上

高校生のころ まじめだった私と友人は 校則をきっちり守り
禁止されているファーストフード店には行かずに
鶴屋デパートの食品売り場でおにぎりを買い
屋上で食べていました。

さびれた屋上では
こどもたちがぎゃー、とか、わーとか、走り回り
それを疲れた顔で見ている親(地味め多し)、
ぱつぱつパンツ(豹柄多し)をはいた金髪のおばさんがホットドックをむさぼり食っていたり、
妻の買い物に愛想を尽かし、避難してきたと思われる冴えないおっさんが呆然としていたり、
そいつらが暇つぶしに与えるタベモノを食べ過ぎて肥え太ったハトたちが目をぎらぎらさせていたりしていて、

そこに雑然とおいてある、ぼろぼろの、スピーカーの割れたゲーム機から
ぴぃぃぃー だの だっふんだぁ だの つるりんくーん だの ずこっ だの
むちゃくちゃに重なったおとがだだーっとながれていて

さらにお知らせスピーカーから鶴屋のお知らせなんかが妙に明るく流れていて

おにぎりをむしゃむしゃと食べながら、
むちゃくちゃなおとをBGMに
かれらを眺めていると、
私はなんだか、わけが分からなくなってゆくのでした。
そして、むしょうに可笑しくなるのでした。

高校卒業の日、私は屋上にのぼり、
ろくに開きもしなかった教科書を全部、そこのゴミ箱へ捨てたのでした。

自宅近くのトンネル

何故だろう?近頃やたら 頭をよぎる

ワタシは幼稚園の頃 近所の カヨチャン と 近くの小さなトンネルで遊ぶのが好きだった。
すこおし 空気がひんやりしてたり トンネルの外とは違う風が吹いたり 声や音が反
響する あの感じも 差し込んでくる光も なんだか好きだった。

多分、雨上がり だったある日、ワタシとカヨチャンが いつものようにトンネルに遊びに行くと トンネルの中に 営業をサボって昼寝中のおじさんを のっけた白い車が 止まっていた。
その頃 まだ そのトンネルの中の道は 舗装がされていなかった。つまり地面は 泥道だった。。。
気がつくと ワタシとカヨチャンは お絵かきをする感覚で その白い車に 泥んこを塗りたくっていた。。。 おじさんは 爆睡中だった
ワタシは ただひたすらに このシロ が見えなくなるまで車、一面に 泥んこを塗り上げよう! と 集中しまくり 自分なりの達成感を得る為?  その泥んこお絵かきに はまっていた

その 静寂の時は  お昼寝から 目覚めた おじさんの 大声で壊された。。。
こらあっ!!!!!!!
大声で叫ぶおじさんが 車から 飛び出してくるのと
私達が 猛ダッシュで 逃げ出すのは ほぼ同時だった気がする 笑

多分、あれが ワタシが物心ついて はじめて犯した 犯罪?。。。
私にとっては あの泥んこクルマ は 作品だっただけ なんだけどな

あの後、洗車 大変だったろうな。。。おじちゃん ゴメンナサイ。
カヨチャン 元気かな。。。

あの時の全力疾走が ワタシは 今も忘れられない。 笑

白川-釜川

当時の自分の周囲では、一番広く、気分のいい場所だったように思う。
今みると狭くてなんてことない河原。
中3のとき、はじめて学校をさぼって行った。
小さい頃からよく遊んだ場所だけれど、1人で行く誰もいない河原は格別だった。
あの頃からエスケープ癖は強まった。

いつも逃げ出したい自分がいる。でも、逃げに徹する勇気もないのだ。

新潟の河岸段丘地帯にて、遠くの山道を走る車を鳥の目線で眺めながら、以外と遠いところに来てしまっていることに今更気付いた夏だった。

兵庫・須磨海岸

オモイデは数多くありますが、最近ワタシの頭をよぎっては消えるうたかたの記憶を。
それは、約一年前に当時の恋人と行った海。須磨の海。
それは私達が最初で最後に行った、海となった。
私は海で泳いだ経験が浅く、彼にずっとしがみついていました。
その時着てきた白いワンピースをほめてくれたことがうれしかったのに、
その約2ヶ月後、私達は別れました。

昼下がりの海の家で、私の膝枕で彼は眠った。
その頃にはすでにきっと、何かが満ちていたのでしょう。
私は苦しいことに無感覚になっていて、JRと阪急を乗り継いで深夜のタクシーに乗り、
西宮まで出掛けていた日々。卒論との闘いの日々。時間との闘いの日々。

思い出すとナミダが出そうになるけど、鮮やかにさわやかによみがえるひと夏のオモイデ。

ふたばようちえん

***ひそかにオモイデコレクターの巻き #01***
い~つの~ことぉ~だかぁ~♪
おもいだしてご~らん~♪(←出だしで音がやたら高音を要求しない?)

幼稚園て、
粉の絵の具を溶いた匂いとか、特に青。
ダンボールをくっつけあわせて色んなもの作ったり、でっかい船とか。
粘土で怪獣つくったり、背中にイボをつけたよ。緑色。
おゆうぎ会で、うさぎのお母さん役をしたりとか…。シロタイツ。
ね、かわいい私がいるわ。
閻魔大王とかクモの糸のお話とか。
あ、お寺だったの。卍ね。今じゃ正座もキビシイけど。
あと、カワイのカンユドロップ?とか。知ってる?

★小学校に入って、初めて歌謡曲のレコードを買ってもらったの。
ピンクレディーのUFO。チャララ、ラッラッラッ(歳が…)
うれしくて、ようちえんに持って行って、先生にかけてもらった。

そこは北九州は黒崎にあります。もうたぶん幼稚園はなくて、お寺だけだけど。
家から黒崎小学校までの行き道にありました。ときどき車で前を通ります。

長くなりました、すみません。オモイデは尽きません。では#02で。

nodata

僕の思い出の場所は千葉にいた頃(小学校2・3年)、基地の場所探しにと、友達と不安になるくらい遠くまでチャリンコをこいで行って、たまたま出会ったあの場所です。
今にしてみれば車で20分くらいのところなんだろうけど、あの頃の僕にはすごく遠くに感じたなぁ…。でも、そこに行く間の『悪いことをしている』というような感じと、遠くに行ってだんだん不安になるココロ。だけど、友達といっしょだからなんだか楽しくて、とにかくワクワクする感覚。忘れられないなぁ~。
思い出の場所ってのは、「点」や「線」「面」ではなく、ココロの中のように無次元な世界なのかもしれませんね☆

※場所はご想像にお任せします。

サッカーゴールの前

高校時代サッカー部で毎日練習した場所・・・。
ゴールキーパーだった自分は今でもゴール前に立つとその頃の思い出を思いだして
しまう・・・。母校のグランドに限らずサッカーゴールを見るだけでも。

毎日練習で何百本・何千本と受けたシュートやセンタリング。
シュートをとめた時の手の感触とそのシチュエーション。
ゴールを決められた時のシュートコース。レギュラーになった時に使っていた
スパイクとキーパーグローブ。あと、たまらなく臭かった練習着とレガースと
キーパーグローブ…。マジで臭い!

高校時代の自分の仕事場。ゴール前はあの頃はほんと大きく感じました。

でも、思うと高校生活で最もリアルに感じることが出来た時間と場所は
今でもサッカーやってた頃のゴール前だと思う・・・。

二段ベット

幼稚園の二年間。押入れを改造して兄と上下に入って寝ていた。
もちろんあたしは上。

夜中に大きな音。両親がこども部屋のふすまを開けギシギシとやってくる。
きまってあたしは床に転げ落ちている。
それでもしつこく眠ろうとしているので、そのまま抱き上げられ上の段に戻された。

1年間だけ住んだ、今にも倒れそうな小さな木造の平屋。
また引っ越しすることになったけど、ベットは持っていけなかった。

神 戸

思い出・・・にしては、すごーく最近なのですが、
この夏、連れと二人で行った神戸、です。

私たち的には、まるでパリでした。
建築家の安藤忠雄が、「神戸はパリをこえた」とおっしゃったそうですが、
私もまったくそのとおりだと、感じております。

素敵なカフェや変なオブジェとか、街中の車の路駐ぐあいとか、
福岡とはひと味ちがう風が、つまりパリの風がふいていたのでした。

注:ちなみに、パリは行ったことありません。

マレーシアのとある丘

「場所」というのとはちょっと違うのかもしれないけど(「場所」よりもっと面的なんだけど)
今のところ一番印象的なのは「夕焼けを見たマレーシアの丘」。
3年前の夏に、マレーシアであった学会(みたいの)のツアーで、
確か、「マラッカ海峡に沈む夕日を見て、マレーシア料理を味わい、蛍を見る」
というメニューだったと思う。それは、ちょっと前に駅で人身事故を見てしまい、
見たというか、その被害者(女の子)が一番最後に接触したのが自分だったことで、
なんとなく責任を感じてしまったり、なんで飛び込んだんだろうとか、
本当に自殺だったんだろうかとか、いろいろと想うことがあったときで。

スコールの後に出た虹が灯台にかかっているのが見えて、その風景を背中に、
久しぶりに夕焼けの始まりから終わりまでを見て。
その夕焼けの情景は、写真に撮っても撮りきれないと思えちゃうほどで。
そのときに、その彼女はやっぱり自ら飛び込んだんだなぁと思えて、
こんな夕焼けを見ることも放棄しちゃったんだなぁ、やっぱり自分から死んじゃうって
いけないことだし、第一もったいないなぁ、なんて想って、泣けるくらい感激した。

その灯台のあった丘の正確な位置も地名も地形も、単に「マレーシアのどこか」と
しか覚えていないけど、「場所」といわれて一番思いつくのはあの風景、だなぁ。