実家の近くにある公園はみんなに「上の公園」と呼ばれていた。もちろん「上の」とつく以上、「下の公園」もあったのだが「上の公園」で遊ぶことが多かった。そちらの方が家から近かったこともあるし、野球やサッカーなどで遊ぶときに遊具や木の場所を利用しての塁やゴールを定めやすかったこともあるだろう。小学生の間ずっと集団登校をしていた私にとっては、そこは朝の集合場所としての機能も持ち合わせていた。そこで遊んでいたのは私を含め近所の子供たちだが、学年などは関係なかった。そこにいるみんなで遊ぶ、そんな場所だった。
そこで私たちは毎日遊んだ。示し合わせたわけではないのに誰かが必ずそこにいた。サッカーや野球、ドッヂボールをすることもあれば缶けりやけいどろ、木登りをしていたこともある。ブランコを使っての靴飛ばしはみんな燃えた。
公園の中にはいろいろな木や花もあった。春には山桜がソメイヨシノより少し早く花を咲かせ、柔らかい緑が目に優しい。夏には春よりも濃い色となった葉が強い日差しを遮り、クチナシの甘い香りが広がる。秋にはケヤキの葉がみごとなグラデーションを見せ、銀杏は黄色の葉を落とし、ドングリが地面に転がる。冬には椿が鮮やかな赤を見せてくれる。他にも常緑樹はあったし花壇にも花があった。
決して広くはない公園だ。だがそこに私の子ども時代のほぼすべてがある。昔と違って子どもの数が減ってしまい、子どもが遊んでいる様子を見ることはあまりなくなってしまった。あの公園を見るたびにそれを寂しく感じながら、幼かった頃の自分と友人たちのことを思い出すのだ。