子どもの頃の想い出の場所、考えてみても、鮮明な画像が浮かばない。ピントがぼけて、どこかはっきり想い出せない。でも想い出そうとすると心がボッカポッカと温かくなる。
一緒に餃子の具から作った場所、ハンバーグをミンチを一緒にこねてカタチをつくった場所、雪の日の庭、レコードを聴いてる横に座っている時、一緒に美術館に行ったとき、映画を観にいった時、等々。
でも中心は、はっきりみえる。それは母の笑顔。
母は体が弱く私を産むことすら止められていたほどだ。
だから私を産んだ後も病と闘い、一緒にいる時間は少なく、また私が小学校5年生の時に亡くなった。
想い出の場所を考えた時、私はあれからずっとありのままの自分を受け止めて、抱きしめてくれる場所を探し続けている事に気づいた。それは、具体的な場所でなく、自分がそれを感じ取る心を持つことなのかも知れないとふと思った。