天国の扉、スパニッシュ・ハーレム

偉人や友人や先人によく叱責を受けた。
怠慢を得手としていたのだ。
怠慢が怠慢としてそのまま生き続けたスパニッシュ・ハーレム。
懐かしさを感じさせる尊き場所は残念ながら思いあたらないが、
近しさを感じずにいられぬ然るべき場所はある。
そこは路地裏の奥に潜む蔓に囲まれたスパニッシュ・ハーレムの教会だった。
最後まで神に拝むことも抗うこともなかったがそこで確固たる感情が芽生えた。
私情が込み入りすぎて、バカらしくなるほど。

オモイデの場所とはいわば生涯辿り着けない天国かもしれない。
時はふり返ることを許してくれるが、引き返すことを許してはくれない。
その辛辣さも甘さも愛すべきものなのだ。

しかしここで難儀な神のイタズラに遭遇する。
天国への道は、先ず死なぬことには拓かれない。

世知辛く度し難いこの世こそ、オモイデの極地にちがいない。

今の場所

いつ頃からか、今が懐かしくなった。
惚れた女の鼻歌が台所から聞こえたとき
窓の向こうのありふれた午後のありふれた光を眺めたとき
観葉植物の葉が一枚はらりと落ちたとき
それらの瞬間が目の前から消え去るということ。
おびただしい思い出のすべては、いつも今いる場所から生まれてきた。
そうやってこの今もまた、ある日あるとき
意志とは無関係に不意打ちのように追憶されるのだろうと思うと
今がむやみに懐かしい。

信愛幼稚園

幼い頃の記憶が濃い。

初めて家に妹が来たとき。
産湯につかった時のこと。
状況を鮮明に、気持ちを鮮やかに覚えてる。

幼稚園は特別な場所だった。
初めて体験する社会。
それは不安そのもので冒険心の固まりだったと思う。
そんな社会が存在する私の幼稚園は、
ほのぼのと。。というよりも、クールな装いだった。
広大な敷地に建てられた修道院に併設された幼稚園で、
うっそうと繁る大きな森。その中を滑る長く曲がりくねった滑り台。
まるで宝探しのように、森の中にはキリストの教えが書かれた木の札が立っていた。
小さいとき、それが意味するものが何か分からなかったけれど、
なんだか触れちゃいけない神聖なものは感じてた。
至る所にそれはある、人生の哀しみと強さ。

先日、20数年ぶりに幼稚園を訪れました。
震災で幼稚園はつぶれ、老人支援施設になっていたけれど、
森や修道院はあの時のまま。
あの頃に感じとられた感覚と今も何も変わっていなくて、
私の全てのルーツはここにある、と確認しました。

鶴屋の屋上

高校生のころ まじめだった私と友人は 校則をきっちり守り
禁止されているファーストフード店には行かずに
鶴屋デパートの食品売り場でおにぎりを買い
屋上で食べていました。

さびれた屋上では
こどもたちがぎゃー、とか、わーとか、走り回り
それを疲れた顔で見ている親(地味め多し)、
ぱつぱつパンツ(豹柄多し)をはいた金髪のおばさんがホットドックをむさぼり食っていたり、
妻の買い物に愛想を尽かし、避難してきたと思われる冴えないおっさんが呆然としていたり、
そいつらが暇つぶしに与えるタベモノを食べ過ぎて肥え太ったハトたちが目をぎらぎらさせていたりしていて、

そこに雑然とおいてある、ぼろぼろの、スピーカーの割れたゲーム機から
ぴぃぃぃー だの だっふんだぁ だの つるりんくーん だの ずこっ だの
むちゃくちゃに重なったおとがだだーっとながれていて

さらにお知らせスピーカーから鶴屋のお知らせなんかが妙に明るく流れていて

おにぎりをむしゃむしゃと食べながら、
むちゃくちゃなおとをBGMに
かれらを眺めていると、
私はなんだか、わけが分からなくなってゆくのでした。
そして、むしょうに可笑しくなるのでした。

高校卒業の日、私は屋上にのぼり、
ろくに開きもしなかった教科書を全部、そこのゴミ箱へ捨てたのでした。

自宅近くのトンネル

何故だろう?近頃やたら 頭をよぎる

ワタシは幼稚園の頃 近所の カヨチャン と 近くの小さなトンネルで遊ぶのが好きだった。
すこおし 空気がひんやりしてたり トンネルの外とは違う風が吹いたり 声や音が反
響する あの感じも 差し込んでくる光も なんだか好きだった。

多分、雨上がり だったある日、ワタシとカヨチャンが いつものようにトンネルに遊びに行くと トンネルの中に 営業をサボって昼寝中のおじさんを のっけた白い車が 止まっていた。
その頃 まだ そのトンネルの中の道は 舗装がされていなかった。つまり地面は 泥道だった。。。
気がつくと ワタシとカヨチャンは お絵かきをする感覚で その白い車に 泥んこを塗りたくっていた。。。 おじさんは 爆睡中だった
ワタシは ただひたすらに このシロ が見えなくなるまで車、一面に 泥んこを塗り上げよう! と 集中しまくり 自分なりの達成感を得る為?  その泥んこお絵かきに はまっていた

その 静寂の時は  お昼寝から 目覚めた おじさんの 大声で壊された。。。
こらあっ!!!!!!!
大声で叫ぶおじさんが 車から 飛び出してくるのと
私達が 猛ダッシュで 逃げ出すのは ほぼ同時だった気がする 笑

多分、あれが ワタシが物心ついて はじめて犯した 犯罪?。。。
私にとっては あの泥んこクルマ は 作品だっただけ なんだけどな

あの後、洗車 大変だったろうな。。。おじちゃん ゴメンナサイ。
カヨチャン 元気かな。。。

あの時の全力疾走が ワタシは 今も忘れられない。 笑

白川-釜川

当時の自分の周囲では、一番広く、気分のいい場所だったように思う。
今みると狭くてなんてことない河原。
中3のとき、はじめて学校をさぼって行った。
小さい頃からよく遊んだ場所だけれど、1人で行く誰もいない河原は格別だった。
あの頃からエスケープ癖は強まった。

いつも逃げ出したい自分がいる。でも、逃げに徹する勇気もないのだ。

新潟の河岸段丘地帯にて、遠くの山道を走る車を鳥の目線で眺めながら、以外と遠いところに来てしまっていることに今更気付いた夏だった。

兵庫・須磨海岸

オモイデは数多くありますが、最近ワタシの頭をよぎっては消えるうたかたの記憶を。
それは、約一年前に当時の恋人と行った海。須磨の海。
それは私達が最初で最後に行った、海となった。
私は海で泳いだ経験が浅く、彼にずっとしがみついていました。
その時着てきた白いワンピースをほめてくれたことがうれしかったのに、
その約2ヶ月後、私達は別れました。

昼下がりの海の家で、私の膝枕で彼は眠った。
その頃にはすでにきっと、何かが満ちていたのでしょう。
私は苦しいことに無感覚になっていて、JRと阪急を乗り継いで深夜のタクシーに乗り、
西宮まで出掛けていた日々。卒論との闘いの日々。時間との闘いの日々。

思い出すとナミダが出そうになるけど、鮮やかにさわやかによみがえるひと夏のオモイデ。

ふたばようちえん

***ひそかにオモイデコレクターの巻き #01***
い~つの~ことぉ~だかぁ~♪
おもいだしてご~らん~♪(←出だしで音がやたら高音を要求しない?)

幼稚園て、
粉の絵の具を溶いた匂いとか、特に青。
ダンボールをくっつけあわせて色んなもの作ったり、でっかい船とか。
粘土で怪獣つくったり、背中にイボをつけたよ。緑色。
おゆうぎ会で、うさぎのお母さん役をしたりとか…。シロタイツ。
ね、かわいい私がいるわ。
閻魔大王とかクモの糸のお話とか。
あ、お寺だったの。卍ね。今じゃ正座もキビシイけど。
あと、カワイのカンユドロップ?とか。知ってる?

★小学校に入って、初めて歌謡曲のレコードを買ってもらったの。
ピンクレディーのUFO。チャララ、ラッラッラッ(歳が…)
うれしくて、ようちえんに持って行って、先生にかけてもらった。

そこは北九州は黒崎にあります。もうたぶん幼稚園はなくて、お寺だけだけど。
家から黒崎小学校までの行き道にありました。ときどき車で前を通ります。

長くなりました、すみません。オモイデは尽きません。では#02で。

nodata

僕の思い出の場所は千葉にいた頃(小学校2・3年)、基地の場所探しにと、友達と不安になるくらい遠くまでチャリンコをこいで行って、たまたま出会ったあの場所です。
今にしてみれば車で20分くらいのところなんだろうけど、あの頃の僕にはすごく遠くに感じたなぁ…。でも、そこに行く間の『悪いことをしている』というような感じと、遠くに行ってだんだん不安になるココロ。だけど、友達といっしょだからなんだか楽しくて、とにかくワクワクする感覚。忘れられないなぁ~。
思い出の場所ってのは、「点」や「線」「面」ではなく、ココロの中のように無次元な世界なのかもしれませんね☆

※場所はご想像にお任せします。

サッカーゴールの前

高校時代サッカー部で毎日練習した場所・・・。
ゴールキーパーだった自分は今でもゴール前に立つとその頃の思い出を思いだして
しまう・・・。母校のグランドに限らずサッカーゴールを見るだけでも。

毎日練習で何百本・何千本と受けたシュートやセンタリング。
シュートをとめた時の手の感触とそのシチュエーション。
ゴールを決められた時のシュートコース。レギュラーになった時に使っていた
スパイクとキーパーグローブ。あと、たまらなく臭かった練習着とレガースと
キーパーグローブ…。マジで臭い!

高校時代の自分の仕事場。ゴール前はあの頃はほんと大きく感じました。

でも、思うと高校生活で最もリアルに感じることが出来た時間と場所は
今でもサッカーやってた頃のゴール前だと思う・・・。