私が小学生くらいのころまで、
長期休暇の度に母方の祖父母宅に泊まりに行っていた。
広くて不思議なものだらけの祖父母宅は、
当時の私と、同い年の従姉と、3つ下の弟にとっては遊園地みたいな場所だった。
祖父母宅リビングには、壁に沿うようにコーナーソファが置かれていた。
そのソファの角部分は丸く作られていて、壁との間にわずかなデッドスペースがあった。
私たち子ども組はいつも、その小さなスペースに入り込んで遊んでいた。
そのスペースに特に名前はなかった。秘密基地とか言っておけばいいものの、
私たちも大人たちも「あそこ」とか「ここ」とか適当に呼んでいた気がする。
狭い場所に入りたくなるのは本能なのだろう、
いつもネコかハムスターよろしく3人で押し合いへし合いしながら「そこ」で遊んでいた。
だいたい、チラシをひたすらちぎったり、謎の運動会を開催したりと、
全然生産性のない遊びに夢中になっていた。
双子の母と叔母が過ごしていた部屋でピアノを弾いたり、
ギターや百科事典といったものがひしめく
宝物箱のような叔父の部屋で、いろいろ物色するのも好きだった。
あまりに私たちが遊ぶので、ほどなくしてそれらの部屋には立ち入り禁止となってしまった。
帰宅するときには、庭にあった砂利でいつまでも遊んで大人たちを困らせていた。
祖父母宅の砂利は、消しゴム大の大きさで、白、黒、灰など色んな色があった。
表面はすべすべとしていて、少し冷たい。
形は卵のようで、当時流行っていたたまごっちの絵を油性ペンで描いて大喜びしていた。
今では、もう当時の「おじいちゃんとおばあちゃんち」という感覚を失ってしまった。
成長するにすれ、いつしか祖父母宅に泊まることはなくなってしまった。
「あそこ」もすっかり狭くなっていて、最早ただのスペースになってしまっていた。
背もだんだん伸びてきて、足元の砂利たちも目に入らなくなってしまった。
私たちが大きくなるにつれて、大人たちは年老いていく。
泊まりに行くたびにご馳走を振る舞ってくれた祖母も、
今では体調を崩して憔悴しきってしまい、私たちが遊びに来ることすら負担になるようだ。
叔母が、「私たちも年を取っていくけど、お父さんとお母さんは1年に2歳も3歳も老いていっている気がする」
とつぶやくように言っていたのが印象的だった。
もう座ることすらままならない祖母の姿が、彼女にそっくりな双子と重なりそうだった。
祖父母宅は、物理的には20年前と全く変わっていない。
ただ、私たちが「あそこ」のスペースを
意味のある余白だと思う感性を失ってしまっただけなのだ。